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【中1社会-歴史】「平安時代」の重要ポイントをピックアップし、勉強方法を紹介!

中学1年生の社会の歴史では、「平安時代」という単元を学習します。

そこでこの記事では、この単元が苦手という中学生やそして中学生に勉強を教える親御さんのために抑えておくべき重要なポイントをわかりやすくまとめたので参考にしてください。

平安京と桓武天皇

奈良時代、都では僧や貴族が力をもつようになり、勢力争いが激しくなっていました。そこで、桓武天皇は新しい都で政治を行おうと考えました。

桓武天皇は、まずは、都を784年に京都の長岡京、続いて794年、平安京(今の京都市)に移しました。

以降の鎌倉幕府成立までの約400年を「平安時代」と言います。

桓武天皇の政治の内容

桓武天皇は、8世紀末には唐の勢力が弱まり、東アジアの国々での緊張が緩んだため、律令政治の立て直しを試みます。

班田収授法の実施に努力したり、国司の監督を強化するなどの中央集権の支配の仕組みを立て直そうとしました。

しかし、庶民から見ると兵役・労役・租税の負担が男の方が女よりも多かったため、男の登録を少なくする偽籍が増えて不自然に女性の数が増えるなど、戸籍にいつわりが多くなったこともあり、複雑な手続きが必要な班田収授法が行われなくなりました。

蝦夷の抵抗

東北地方では、アテルイを指導者とする蝦夷(えみし)が、朝廷に抵抗していました。

そこで桓武天皇は、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命しました。蝦夷の指導者アテルイの抵抗を抑え、胆沢城、志波城などを築き、東北地方に勢力を拡大していきました。

平安時代の仏教

奈良時代に力をもつようになった仏教の新しい教えが、平安時代のはじめに唐から日本に伝えられました。

密教とよばれ、山奥の寺で学問やきびしい修行を行います。そして加持祈祷を行い貴族たちの間に広まりました。

その新しい教えの代表が、天台宗と真言宗です。

天台宗は、最澄という人物が日本に伝えたもので、比叡山に延暦寺を建てる
真言宗は、空海という人物が日本に伝えたもので、高野山に金剛峯寺を建てる

摂関政治

平安時代の中期にあたる9世紀後半から11世紀前半には、藤原氏が、自分の娘を天皇の妃にして、その子を天皇とすることで勢力を拡大しました。

天皇が幼いときは摂政に、成人になってからは関白の位につき政治を独占するようになります。

この政治を摂政と関白のそれぞれの頭文字をとって、摂関政治と言います。

摂政…天皇が幼いときや女性のとき天皇の代わりに政治を行う役職
関白…成人した天皇を助けて政治を行う役職

とくに、11世紀前半の藤原道長・藤原頼通の父子の時代は、摂関政治が全盛でした。

結果、藤原氏を中心とする貴族たちは、国司からの贈り物や広大な荘園から多くの収入を得るようになりました。

武士のおこり

平安時代、地方では豪族が自分の土地を守るため、武装するようになりました。

10世紀になると都では、もともとは弓矢や馬などの戦いの技術にすぐれた武官が朝廷や貴族の警備をすることで、実力が認められるようになっていました。

そして、都の武官と地方の武装した豪族が交わることで、武士がおこり、多くの家来を従えるほどの武士団ができました。

武士団では、主人と家の子・郎党・下人などの家来が主従関係で結ばれ、主人を中心にまとまっていきました。

やがて地方では、10世紀の中ごろ朝廷に対して反乱をおこす武士団があらわれました。

北関東では平将門が反乱(935年)
瀬戸内海地方では藤原純友が反乱(939年)

朝廷の政治に不満を感じて、それぞれ周辺の武士団を率いて大きな反乱を起こしたのは武士の成長の現れです。

一方、朝廷はこれらの反乱をおさめるために、別の武士団の力で鎮圧するようになりました。

この出来事から武士の力が認められるようになりました。

平氏と源氏

武士団の中でも天皇の子孫である、源氏と平氏が勢力を拡大していきました。
源氏は清和天皇、平氏は桓武天皇の子孫です。

11世紀後半には、東北地方の武士どうしの争いをきっかけにした大きな戦乱(前九年合戦・後三年合戦)のあとに、この争いをしずめた源氏の源義家は東日本で勢力を伸ばしました。

争いの地となった東北地方では平泉を拠点に成長した奥州藤原氏が力を持つようになりました。

一方、平氏は瀬戸内海の海賊をしずめた平氏が西に勢力を伸ばしていきました。
東北に奥州藤原氏、東に源氏、西に平氏くらいで当時の勢力地を覚えておきましょう。

地方の武士は、地位や武力を利用して土地の開発を進め、領地を都の皇族や貴族、寺社に寄進しました。

荘園の成立

荘園では、武士が農民から年貢を徴収するかわりに、その土地を支配する権利を保護してもらい、力をのばします。

荘園以外の公領でも、武士が犯罪の取り締まりや年貢の取り立てを任されるようになります。

こうして、11世紀の後半には、荘園や公領に館を築いて、地方の社会の中心になっていきます。

院政のはじまり

平安時代の中ごろから、藤原氏が実権をにぎった摂関政治が行われていました。
その後、後三条天皇という藤原氏と関係がうすい天皇が即位します。

後三条天皇が荘園の増加に伴う整理などの政治改革を行い、後三条天皇の子どもである白河天皇が即位します。

その後、白河天皇は位をゆずり上皇になりますが、上皇になった後も政治の実権をにぎり続けました。上皇や上皇の住まいを「院」といったので、上皇が実権をにぎり行った政治を「院政」といいます。

白河上皇とその次に院政を行った鳥羽上皇は、新しい荘園を認める強い力を持ったので、多くの荘園が上皇に寄付されました。

上皇は、寺社を新しく造ったり、厚く保護したので、寺社も多くの荘園を持ったり、僧兵をかかえて勢力を拡大していきました。

上皇は、身分にとらわれずに武士も家臣にするなど、人材を自由に登用していきました。

保元の乱・平治の乱

鳥羽上皇の没後、政治の実権をめぐり、保元の乱(1156年)と平治の乱(1159年)の二つの内乱が起こります。

保元の乱では、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、武力衝突した政変です。結果は後白河上皇が勝利しましたが、この内部抗争に平清盛と源義朝(の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へと繋がるきっかけの一つになったと言われています。

平治の乱も、藤原家や二条天皇がからむ内乱ですが、結果としては平清盛が源義朝を破って平氏が勢力を広げるようになりました。

平氏政権

保元の乱・平治の乱という2つの内乱に勝利した武士の平清盛が、勢力を広げて大きな力を持つようになりました。

その後、1167年に平清盛は武士として初めて、太政大臣の位につき、娘を天皇の妃にしてさらに権力を強め、一族が政治を独占します。これが、日本で初めての武士政権の成立です。

さらに兵庫の港を整備して、中国の宋と貿易を行うことで富を蓄えます。

しかし平清盛をリーダーとする平氏が、政治を思うがままに動かしたことで、貴族や寺社、地方の武士などから平氏への不満が広がりました。

源平の合戦

平氏の政治に不満が広がる中、平清盛が後白河上皇の院政を停止させると、反感を持った源氏を中心とする諸国の武士が一斉に挙兵しました。

この時、源氏の源頼朝も兵を挙げ、鎌倉を本拠地として関東地方を支配しました。

頼朝は弟である源義経に命じて、平氏を攻めさせます。そして、1185年に壇ノ浦の戦いで、源氏が平氏を滅ぼしました。

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